言語の習得で文化までは理解できない

例えば今の日本には共通の『笑い』がない。

個人的に笑いの文化は落語なのだが、
現代日本において、落語の笑いを共有できる人は探さないといない。
日本人で日本語で読み書き喋るのに、落語は遠いという。

それを嘆くのも諦めるのもたやすいが、
自分は他者とのつながりを諦めるつもりはありません、てネバーギブアップな気でいるので、
こちらが間口を広げればいいのだ、とばかりに多趣味な人間と成り果てたが、
すぐに通じる共通文化としての笑いが個人的趣味のレベルにまで縮小化されると、
共通の話題さえ少なくなる。
ひいては、誰とでも話が通じる文化が分断される。

日本から一歩も出ず、突然日本の文化を考えるに至ったのは、
リック・アストリーがきっかけだったりする。
最近のインタビュー記事で、『一番好きな本』を訊かれて、

Money by Martin Amis. I've read almost all of his books. Everyone can read it and have a laugh about it.

マーティン・エイミスの「マネー」。彼の著作はほとんど読んだ。(中でも「マネー」は)誰でも読んでいて、笑いを共有できる(から一番好きな本)』(引用箇所意訳)
と答えている。

ちなみにこの本はタイム誌の『オールタイムベスト100』に選ばれている本であるが、
そういう、ある意味伝統的な、息の長いロングセラー小説だとしても、
それさえ読んでおけば、「ああ、あれね、面白いよね」と言い合える本が、
英国にはあるのだということ。

そんな本がはたして日本にあるだろうかと探してしまった。

…思い当たらない。
当たっても自分が読んでなかったり。

じゃあ英国人と笑いを共有できると英国人が言っている、
マーティン・エイミスの『マネー』を読むと仮定しよう。
フツーにアマゾンで買えるから(さすがオールタイムベスト)。

現時点での自分の英語力では、300ページ以上の小説を通読は困難である上、
読みおおせたとしても、そのユーモアへの理解までは程遠い。

日本語で語れるくらい英語で語れたら、
『マネー』も理解して読めるはずとは思うけどね、
誰か翻訳してくれないかなあ。
日本語だったら読めるよ(ラノベ調の文体でも可読)。

かくのごとく読む前から、
自分は英国人を英国人たらしめている文化背景について無知であることを自覚していて、
更には、英語表現そのものの成り立ちにも明るくないと悟っている場合、
読んだからって同じに笑えるかな? と立ち止まる。

英語ができるできないではないよね、これはね。>タイトルに戻る

学校ないと自堕落な気がしてしまう。
今日だけは自分の休日、と思って、
昨日教わったアイルランド文学の作家作品を借りられるだけ図書館に予約。
さあまたひとつ間口が広がる。